「この墨原家は代々佐和の国、帝に仕える術師の家系だ。術力は血の中に溶け込み、己と一体となっている。ゆえに、力とは血、血とは力だ。我が一族は、この「血」ゆえに帝に仕えていた。だが、っ憎き清原家の策略により、宮廷を追われ、術師として『このような』立場に甘んじねばならない屈辱っ」
カッコン。
庭の獅子脅しの音が響く。
都の喧噪からはほど遠い、この屋敷の主―口髭を生やした男は、瞼を固く瞑り目の前に『居るであろう』二人の子供たちに語りかける。
「よいか、茜、葵。
お前姉弟は我が墨原家再興の切札」
カッコン。
「憎き清原家より宮廷術師の座を奪い返し、けちょんけちょんに――」
カッコン。
「あなた、あなたってばっ」
カッコン。
「ああ、なんだ?」
「茜も葵もおりませんわ」
口元に袖口を当ててくすくすと女性がほほ笑む。
その微笑みに口髭を生やした男はとろーんと、なんとも無様――みっともない――、威厳もへったくれもない表情で、二人は見つめあう。
カッコン。
「はっ!?」
男は突如声を上げあたりを見る。
「天音!?茜と葵は!?」
どこに行った!?と女性―天音にくらいつく。
「茜は、『小田部』(おたべ)に行きましたわ。葵は、そうですわね…、きっと清十郎先生の所ですわ」
「ぬわんだとーーー!!!!あの二人め!!わしの話中に逃げ出したというか!?」
「ふふふ。良いではないですか?今日は、あなたとわたくしの二人きりですわ」
天音は男にそっと寄りかかり、その唇に……
「おかぁさまぁ!!!!」
すぱーんと襖を開け放ち、
「大変です!お母様!谷五六(たごろく)さんで、大根が大根が!!」
少女は抱えた大根を天音に突きつけ、唇が触れる寸前で止まった天音に満面の笑みで叫んだ。
「安売りしていましたっ。3本で、2文です!ちょっと痛んでますが、見てください!今日は、大根が食べられます…っ」
「まぁ!では、さっそく今晩の夕食に出しましょう!あなた、今日は大根が食べられますわ!」
ぽかんと口を開けた男は、ぱくぱくと口を開閉し始める。
甘いひと時を、嵐の如くやって来た長女に対して、カッと頭に血が昇る。
「あ、茜~~~~~!」
うらみがましい声で、少女――茜を怒鳴る。
茜は、うげっと声を上げ大根を天音に押し付け、
「では!お父様、今日のお勤めに行ってまいります!」
「まて!茜!!おまえの務めは甘味処で給女の仕事をするのではなく術師として腕を磨き!憎き清原家より宮廷術師の座を奪い返す――!、こぅらぁ!!!!茜~~~~!」
まくしたてる男に、茜は風のごとく来た道を戻る。
「あかねーーーーーーーーーーー!」
***
墨原茜、16歳。
この、佐和の都に居住を構える元宮廷術師「墨原」家の長女だ。
「んーっ!今日もいい天気っ」
背伸びしながら、店の前を行き交う人々を見ながら洗濯日和だわ~とのほほんとつぶやく。
「茜、あんみつ上がったよ」
甘味処「小田部」の女将が台の上にあんみつと番茶を置く。
「は~い」
出されたあんみつを盆の上に置き、椅子に腰を掛ける老女にあんみつを渡す。
「ごゆっくりどうそ~」
にっこりと笑い、番茶も置いておく。
「お鈴さん。私、これから河部で豆剥きの仕事が入ってるから」
「そういえば、そうだったね。ん、いいよ。上がって…、ああそうそう、茜。最近夜になると頭巾をかぶった変な奴らがうろついてるって話聞いたかい?」
お鈴と呼ばれた女将は、前掛けで手を拭きながら溜息をつく。
「あんたのことだから、夜遅くの仕事は受けないと思うけど物騒だから夕方には家に帰るんだよ?」
「もちろん。最近の都、なーんかざわついているっていうか…」
「術師としての、カンってやつかい?」
墨原家と言えば知らぬのは赤子だけとまで言われた、没落っぷりだが術師としては一流の血筋だ。
そして、その一流の血が茜もまた流れている。
「んー、どうかな。私は、お父様みたいに『何かが見える』なんてことはないし」
「っ、な、なにかって、なんあななんさ!?」
ずざっと、茜より離れ厨房の柱の陰に隠れる。
(お鈴さんこの手の話苦手なんだよね~)
くすくすと笑いながら、茜のいたずら心にぽっと灯が灯る。
柱の陰に隠れて、カタカタと震えているお鈴は茜にとっては、ひと回りも違う女性で、人生の先輩だとは思えなく、どちらかというととても気の合う友達のような関係だ。
だからこそ、こう、
いたずら心に灯が、ぽっと灯る。
「何かって、たとえばゆ――」
そう、たとえば、幽霊とか。
そう、にんまりと笑う茜が言葉を発した瞬間、
「いらっしゃいませーーーーーーーーーーーーーーー!!」
暖簾をくぐって入ってきた男に、お鈴は飛びつく勢いで悲鳴のような声を上げた。
「のわっ!?」
男はのけぞりながら、お鈴に引きつられ席に座らされ、茶をどんっと置かれ、
「ささささっ、さ!どどど、どうぞ!」
お客である男に、ひきつった笑顔を向ける。
さらにお客である男はそんな女将に身を引きながら目を白黒させていた。
茜は小さく噴き出して、
「じゃあ、お鈴さん私、上がりますね。基晴さんもゆっくりして行ってね」
入ってきた男―基晴に茜は笑顔を向けて、荷物をまとめて出て行った。
「………」
基晴と呼ばれた男は、唖然として出入り口にはためく暖簾を見た。
お鈴は肘で基晴の頭を突き、
「あー、残念だったねぇ、基晴」
「姐さん…っ!誰のせいでっ」
その肘を手で払う。
一瞬で、すべてが終わった。
基晴は、がっくりと項垂れる。
ちょっと悪い気がしたのかお鈴は苦笑いを浮かべてこっそり耳打ちする。
「これから河部で豆剥きだってさ。最近物騒だから、誰か迎えに行って、送ってくれる人がいるとあたしは助かるんだけどな~」
基晴がお鈴の顔を恨みがましく睨みつけ、
「ぜんざい、一個」
不貞腐れたように、机の上に突っ伏した。
***
河部で豆剥きの仕事を終え、茜色に染まる空を見上げながら茜は一人帰路を歩いていた。
墨原家。
かつて、都一の術師として知れ渡っていた一族。
そして、――堕ちて行った一族。
この佐和の国には、呪刑という死よりももっとも厳しい刑がある。
呪いによって、動物に変えられ冷魅(れいみ)と呼ばれる谷に落とし――その姿のまま一生を終える。
谷に落とされた時に、死したのならばまだ救いだろう。だが、生きて谷底についた場合弱肉強食の世界が待ち受けている。
そして、墨原はその術を行う第一人者だった。
宮廷術師の入れ替わりは、至って簡単。
その、呪刑を破られたのならば――それまで。
当時の墨原家の当主・雅盛の術が破られ―それまで、媚へつらっていた貴族・豪商たちは蜘蛛の子を散らすようにあっという間に墨原家は衰退していった。
今では、国で知らぬものは赤子だけの没落ぶりだ。
屋敷があるだけでもまだ良いと、茜は空を見上げながら思っていた。
父は、お家再興を望み術師として姉弟を育てようとしているが、そんな事をしているくらいなら待ちに出て小銭を稼いだ方が豪勢な食事にありつける。
米を買うのもやっとで、粥にして毎日食べている。
「んーっ」
背伸びをして、豆剥きでこった肩を揉みほぐす。
「今日は久々の大根!大根だよっ。大根の葉っぱのお浸しもおいしいんだよねっ」
浮き浮きとしながら、茜は鼻歌を歌いだす。
と、
「ん?」
小さな音が聞こえた。
とても、小さな、鳴き声が。
立ち止まり、草むらをじっと見つめる。
「きゅ~っん」
「? 動物?」
苦しそうな鳴き声にたまらず草むらの中に入り込み、『ソレ』を見つけた。
黄金色をした、毛並みの良い、『キツネ』。
だが、
「っ、すごい怪我じゃないっ」
その腹部は赤く染まっていた。
***
丁寧に怪我を手当てされた狐が布を敷いた籠の中で丸まっている。
茜の5つ年下の弟・葵は狐の手当を終え、か細い息遣いの狐をじっと見つめていた。
「葵~。そんなにじっと見てたら、キツネさん休めないでしょ?」
後ろからギュッと抱きついた茜から逃れようと葵はあわてて身をひねる。
「姉さん、いつまでも子供扱いしないでよっ」
「なによ~。昔は、姉さま姉さまって、言ってくれたのに…。清十郎先生の所に行ってから、冷たくなってきてるわ」
さらにぎゅーと、抱きしめる。
「うみゃひっ」
奇声をあげて、葵はもがく。
ピクンっと狐の耳が動く。
「ねっ姉さま!狐の目が覚めたじゃなか!」
「葵が騒ぐから目が覚めたんじゃないの」
かすかに体を動かす。狐は体を起こそうと力を使っているようだが、
「駄目だよ。君は、怪我をしているんだから」
そっと、頭を撫でる。
気持ちよさそうに眼を細める狐に、
「私も触りたい」
茜は猫にするように、首の下に指を入れ撫でる。
「それは…、どうかと思うんだけど?姉さん」
「あ、姉さんに戻ってる。」
茜は残念そうにつぶやくと、狐と目が合う。
かぷ。
「………」
「ねえ、葵?噛まれてないけど、これって食べられてるの、かな?」
「あー…。ははは、じゃれてるんじゃないかな?」
隣で固まった姉と、はむはむと姉の指を口に咥える狐。
狐の口から指を取り出し、唾液でべったりとなった指を懐から懐紙を出し拭く。
「葵、私、今日はもう休むことにするわ…。キツネさん任せてもいい?」
「うん、いいけど…」
「キツネさん、葵はお医者さんを目指しているの。葵に任せたら、きっと傷なんてあっという間に治っちゃうんだから」
「姉さん、それはないから。術でも、傷を癒すことはできないのに、相手が動物だからってあっという間、とか変な嘘つかないでよ」
呆れたようにため息をつく葵とキツネの入った籠を持ち上げる。
「じゃあ、部屋で看病するね」
「うん、宜しくね」
居間より出ていく葵の背を見つめ、父と母がいるであろう寝室に目を走らせる。
***
カッコン。
獅子脅しが夜の静寂の中響く。
父と娘は向かい合いながら、ただ睨みあっていた。
「狐の具合が良くなるまで、屋敷に置いてくれとな…?」
唸るような声を上げる父親に、
「だめですか?」
「ダメと言っているわけではない。が、獣を飼うには金がいるぞ」
「お父様、誰のおかげでご飯にありつけると思っているんですか?」
にっこりと満面の笑みを浮かべる茜に、父はうめき声を上げる。
黒墨家、当主―秋守は澄まし顔の娘に大きくため息をつく。
「お前も気づいているはずだ」
「気づく、というよりも…たぶん…と言う感じですか。半信半疑、というところです」
「ならば、『何故』?黒墨はかつては名門、今では没落呪術師として名を落としている。役人どもに見つかればお家取りつぶしの一家討ち首だぞ」
秋守の瞳が鋭く茜を射抜く。
下手な言い分では、決して許さないと視線で言われている。
茜は負けずと、父親を睨みつけて、
「あのキツネは『呪術』を受けている、それは『呪刑者』。咎人と知って助けるのは大罪ということを理解しています!が、お父様。私は、消えゆく命を見捨てられるほど、割り切れるほど、大人ではありません!」
手をつき、頭を深く下げる。
「あのキツネは傷が治りしだい私が冷魅へと送ります。ですから、どうか――傷がいえるまで我が家で養生させてください」
「……、つまり、茜。おまえは傷がいえるまで匿えと?」
「そうです」
真っすぐと己に射るような眼差しを向ける娘の顔をまじまじと見つめ、張りつめた空気が一瞬和らぐ。
腕を組みながら、秋守は苦笑いを浮かべる。
「所詮、私の娘ということか…」
「あたりまえです。おじい様に勘当されて、黒墨を捨てた男の―娘の茜です」
かつて、黒墨家を捨てた秋守は天音と言う伴侶を得るために黒墨を継いだという。
その際にあったごたごたなどは口さがない分家や、面白半分に語るお鈴などから聞き及んでいる。
秋守はどうしようもない、ダメ人間だと。
規律を守ることなく、打ち破る――。
茜もまた、呪刑者を匿うために――呪術師としての大罪を犯す。
この親あってのこの娘、だ。
カコン。
獅子脅しが、響く。
満面の笑みを浮かべる、父と娘。
この、些細なやり取りが後に、国を揺るがすことになるとは、この親子は知ることはなかった。
カッコン。
庭の獅子脅しの音が響く。
都の喧噪からはほど遠い、この屋敷の主―口髭を生やした男は、瞼を固く瞑り目の前に『居るであろう』二人の子供たちに語りかける。
「よいか、茜、葵。
お前姉弟は我が墨原家再興の切札」
カッコン。
「憎き清原家より宮廷術師の座を奪い返し、けちょんけちょんに――」
カッコン。
「あなた、あなたってばっ」
カッコン。
「ああ、なんだ?」
「茜も葵もおりませんわ」
口元に袖口を当ててくすくすと女性がほほ笑む。
その微笑みに口髭を生やした男はとろーんと、なんとも無様――みっともない――、威厳もへったくれもない表情で、二人は見つめあう。
カッコン。
「はっ!?」
男は突如声を上げあたりを見る。
「天音!?茜と葵は!?」
どこに行った!?と女性―天音にくらいつく。
「茜は、『小田部』(おたべ)に行きましたわ。葵は、そうですわね…、きっと清十郎先生の所ですわ」
「ぬわんだとーーー!!!!あの二人め!!わしの話中に逃げ出したというか!?」
「ふふふ。良いではないですか?今日は、あなたとわたくしの二人きりですわ」
天音は男にそっと寄りかかり、その唇に……
「おかぁさまぁ!!!!」
すぱーんと襖を開け放ち、
「大変です!お母様!谷五六(たごろく)さんで、大根が大根が!!」
少女は抱えた大根を天音に突きつけ、唇が触れる寸前で止まった天音に満面の笑みで叫んだ。
「安売りしていましたっ。3本で、2文です!ちょっと痛んでますが、見てください!今日は、大根が食べられます…っ」
「まぁ!では、さっそく今晩の夕食に出しましょう!あなた、今日は大根が食べられますわ!」
ぽかんと口を開けた男は、ぱくぱくと口を開閉し始める。
甘いひと時を、嵐の如くやって来た長女に対して、カッと頭に血が昇る。
「あ、茜~~~~~!」
うらみがましい声で、少女――茜を怒鳴る。
茜は、うげっと声を上げ大根を天音に押し付け、
「では!お父様、今日のお勤めに行ってまいります!」
「まて!茜!!おまえの務めは甘味処で給女の仕事をするのではなく術師として腕を磨き!憎き清原家より宮廷術師の座を奪い返す――!、こぅらぁ!!!!茜~~~~!」
まくしたてる男に、茜は風のごとく来た道を戻る。
「あかねーーーーーーーーーーー!」
***
墨原茜、16歳。
この、佐和の都に居住を構える元宮廷術師「墨原」家の長女だ。
「んーっ!今日もいい天気っ」
背伸びしながら、店の前を行き交う人々を見ながら洗濯日和だわ~とのほほんとつぶやく。
「茜、あんみつ上がったよ」
甘味処「小田部」の女将が台の上にあんみつと番茶を置く。
「は~い」
出されたあんみつを盆の上に置き、椅子に腰を掛ける老女にあんみつを渡す。
「ごゆっくりどうそ~」
にっこりと笑い、番茶も置いておく。
「お鈴さん。私、これから河部で豆剥きの仕事が入ってるから」
「そういえば、そうだったね。ん、いいよ。上がって…、ああそうそう、茜。最近夜になると頭巾をかぶった変な奴らがうろついてるって話聞いたかい?」
お鈴と呼ばれた女将は、前掛けで手を拭きながら溜息をつく。
「あんたのことだから、夜遅くの仕事は受けないと思うけど物騒だから夕方には家に帰るんだよ?」
「もちろん。最近の都、なーんかざわついているっていうか…」
「術師としての、カンってやつかい?」
墨原家と言えば知らぬのは赤子だけとまで言われた、没落っぷりだが術師としては一流の血筋だ。
そして、その一流の血が茜もまた流れている。
「んー、どうかな。私は、お父様みたいに『何かが見える』なんてことはないし」
「っ、な、なにかって、なんあななんさ!?」
ずざっと、茜より離れ厨房の柱の陰に隠れる。
(お鈴さんこの手の話苦手なんだよね~)
くすくすと笑いながら、茜のいたずら心にぽっと灯が灯る。
柱の陰に隠れて、カタカタと震えているお鈴は茜にとっては、ひと回りも違う女性で、人生の先輩だとは思えなく、どちらかというととても気の合う友達のような関係だ。
だからこそ、こう、
いたずら心に灯が、ぽっと灯る。
「何かって、たとえばゆ――」
そう、たとえば、幽霊とか。
そう、にんまりと笑う茜が言葉を発した瞬間、
「いらっしゃいませーーーーーーーーーーーーーーー!!」
暖簾をくぐって入ってきた男に、お鈴は飛びつく勢いで悲鳴のような声を上げた。
「のわっ!?」
男はのけぞりながら、お鈴に引きつられ席に座らされ、茶をどんっと置かれ、
「ささささっ、さ!どどど、どうぞ!」
お客である男に、ひきつった笑顔を向ける。
さらにお客である男はそんな女将に身を引きながら目を白黒させていた。
茜は小さく噴き出して、
「じゃあ、お鈴さん私、上がりますね。基晴さんもゆっくりして行ってね」
入ってきた男―基晴に茜は笑顔を向けて、荷物をまとめて出て行った。
「………」
基晴と呼ばれた男は、唖然として出入り口にはためく暖簾を見た。
お鈴は肘で基晴の頭を突き、
「あー、残念だったねぇ、基晴」
「姐さん…っ!誰のせいでっ」
その肘を手で払う。
一瞬で、すべてが終わった。
基晴は、がっくりと項垂れる。
ちょっと悪い気がしたのかお鈴は苦笑いを浮かべてこっそり耳打ちする。
「これから河部で豆剥きだってさ。最近物騒だから、誰か迎えに行って、送ってくれる人がいるとあたしは助かるんだけどな~」
基晴がお鈴の顔を恨みがましく睨みつけ、
「ぜんざい、一個」
不貞腐れたように、机の上に突っ伏した。
***
河部で豆剥きの仕事を終え、茜色に染まる空を見上げながら茜は一人帰路を歩いていた。
墨原家。
かつて、都一の術師として知れ渡っていた一族。
そして、――堕ちて行った一族。
この佐和の国には、呪刑という死よりももっとも厳しい刑がある。
呪いによって、動物に変えられ冷魅(れいみ)と呼ばれる谷に落とし――その姿のまま一生を終える。
谷に落とされた時に、死したのならばまだ救いだろう。だが、生きて谷底についた場合弱肉強食の世界が待ち受けている。
そして、墨原はその術を行う第一人者だった。
宮廷術師の入れ替わりは、至って簡単。
その、呪刑を破られたのならば――それまで。
当時の墨原家の当主・雅盛の術が破られ―それまで、媚へつらっていた貴族・豪商たちは蜘蛛の子を散らすようにあっという間に墨原家は衰退していった。
今では、国で知らぬものは赤子だけの没落ぶりだ。
屋敷があるだけでもまだ良いと、茜は空を見上げながら思っていた。
父は、お家再興を望み術師として姉弟を育てようとしているが、そんな事をしているくらいなら待ちに出て小銭を稼いだ方が豪勢な食事にありつける。
米を買うのもやっとで、粥にして毎日食べている。
「んーっ」
背伸びをして、豆剥きでこった肩を揉みほぐす。
「今日は久々の大根!大根だよっ。大根の葉っぱのお浸しもおいしいんだよねっ」
浮き浮きとしながら、茜は鼻歌を歌いだす。
と、
「ん?」
小さな音が聞こえた。
とても、小さな、鳴き声が。
立ち止まり、草むらをじっと見つめる。
「きゅ~っん」
「? 動物?」
苦しそうな鳴き声にたまらず草むらの中に入り込み、『ソレ』を見つけた。
黄金色をした、毛並みの良い、『キツネ』。
だが、
「っ、すごい怪我じゃないっ」
その腹部は赤く染まっていた。
***
丁寧に怪我を手当てされた狐が布を敷いた籠の中で丸まっている。
茜の5つ年下の弟・葵は狐の手当を終え、か細い息遣いの狐をじっと見つめていた。
「葵~。そんなにじっと見てたら、キツネさん休めないでしょ?」
後ろからギュッと抱きついた茜から逃れようと葵はあわてて身をひねる。
「姉さん、いつまでも子供扱いしないでよっ」
「なによ~。昔は、姉さま姉さまって、言ってくれたのに…。清十郎先生の所に行ってから、冷たくなってきてるわ」
さらにぎゅーと、抱きしめる。
「うみゃひっ」
奇声をあげて、葵はもがく。
ピクンっと狐の耳が動く。
「ねっ姉さま!狐の目が覚めたじゃなか!」
「葵が騒ぐから目が覚めたんじゃないの」
かすかに体を動かす。狐は体を起こそうと力を使っているようだが、
「駄目だよ。君は、怪我をしているんだから」
そっと、頭を撫でる。
気持ちよさそうに眼を細める狐に、
「私も触りたい」
茜は猫にするように、首の下に指を入れ撫でる。
「それは…、どうかと思うんだけど?姉さん」
「あ、姉さんに戻ってる。」
茜は残念そうにつぶやくと、狐と目が合う。
かぷ。
「………」
「ねえ、葵?噛まれてないけど、これって食べられてるの、かな?」
「あー…。ははは、じゃれてるんじゃないかな?」
隣で固まった姉と、はむはむと姉の指を口に咥える狐。
狐の口から指を取り出し、唾液でべったりとなった指を懐から懐紙を出し拭く。
「葵、私、今日はもう休むことにするわ…。キツネさん任せてもいい?」
「うん、いいけど…」
「キツネさん、葵はお医者さんを目指しているの。葵に任せたら、きっと傷なんてあっという間に治っちゃうんだから」
「姉さん、それはないから。術でも、傷を癒すことはできないのに、相手が動物だからってあっという間、とか変な嘘つかないでよ」
呆れたようにため息をつく葵とキツネの入った籠を持ち上げる。
「じゃあ、部屋で看病するね」
「うん、宜しくね」
居間より出ていく葵の背を見つめ、父と母がいるであろう寝室に目を走らせる。
***
カッコン。
獅子脅しが夜の静寂の中響く。
父と娘は向かい合いながら、ただ睨みあっていた。
「狐の具合が良くなるまで、屋敷に置いてくれとな…?」
唸るような声を上げる父親に、
「だめですか?」
「ダメと言っているわけではない。が、獣を飼うには金がいるぞ」
「お父様、誰のおかげでご飯にありつけると思っているんですか?」
にっこりと満面の笑みを浮かべる茜に、父はうめき声を上げる。
黒墨家、当主―秋守は澄まし顔の娘に大きくため息をつく。
「お前も気づいているはずだ」
「気づく、というよりも…たぶん…と言う感じですか。半信半疑、というところです」
「ならば、『何故』?黒墨はかつては名門、今では没落呪術師として名を落としている。役人どもに見つかればお家取りつぶしの一家討ち首だぞ」
秋守の瞳が鋭く茜を射抜く。
下手な言い分では、決して許さないと視線で言われている。
茜は負けずと、父親を睨みつけて、
「あのキツネは『呪術』を受けている、それは『呪刑者』。咎人と知って助けるのは大罪ということを理解しています!が、お父様。私は、消えゆく命を見捨てられるほど、割り切れるほど、大人ではありません!」
手をつき、頭を深く下げる。
「あのキツネは傷が治りしだい私が冷魅へと送ります。ですから、どうか――傷がいえるまで我が家で養生させてください」
「……、つまり、茜。おまえは傷がいえるまで匿えと?」
「そうです」
真っすぐと己に射るような眼差しを向ける娘の顔をまじまじと見つめ、張りつめた空気が一瞬和らぐ。
腕を組みながら、秋守は苦笑いを浮かべる。
「所詮、私の娘ということか…」
「あたりまえです。おじい様に勘当されて、黒墨を捨てた男の―娘の茜です」
かつて、黒墨家を捨てた秋守は天音と言う伴侶を得るために黒墨を継いだという。
その際にあったごたごたなどは口さがない分家や、面白半分に語るお鈴などから聞き及んでいる。
秋守はどうしようもない、ダメ人間だと。
規律を守ることなく、打ち破る――。
茜もまた、呪刑者を匿うために――呪術師としての大罪を犯す。
この親あってのこの娘、だ。
カコン。
獅子脅しが、響く。
満面の笑みを浮かべる、父と娘。
この、些細なやり取りが後に、国を揺るがすことになるとは、この親子は知ることはなかった。
スポンサードリンク